節目。去年は日記に
鬼は外、福は内。
鬼も中に入れてあげようよ、
そんなドキュメンタリーをつくりたい。
というアホなことを書いていましたが、今年は
福も鬼も関係あるか!゚Д゚)boke!!というわけで、
福が来ようが、鬼が来ようが、全てそれはそれで
良しとして、自分の中で受け止めていきたいところです。
ついでに、去年の2月の日記を読み返してみたら、
鎌仲監督の本の話があって、整理しきれない部分こそが
重要である、的なことが書いてあって、あーそういえば
そんなこともあったなーと(∀`*ゞ)エヘヘ
5%の人が社会を動かしている・・・
昨日、自己嫌悪のことについて、ちょっとプロローグしてましたが
昨日の今日でこれだと、完全に躁くんと鬱さんを繰り返している
間抜けな人物にしかディスプレイ越しには伝わらないんでしょうけど
でも、それでも良いんです(*´Д`)
よくよく考えてみなくても、「自己好良」のやつに
自分が好きな人はいないし、
"人は精神的に成長するにしたがって、ほとんど
自己嫌悪することはなくなる。それは、
依存する人格から脱却することでもある"
"実は自己嫌悪というのは自分の魅力を隠す蓋のようなものだと。
あなたが自分の価値を一つでも見つけて、自己嫌悪を
魅力に置き変えてより輝きを増していけますよう応援しています"
って書いてあるところもあるんですけど、人間、葛藤しなくなったら
成長しないっておっしゃるエライ偉人の方もいますし、
他人の魅力って与えられるよりも、自分で探して見つけたときの
方が、なんかこうグッと来るものがありますし、隠して隠して
それでも滲み出てくるものって憧れます(*´ω`*)
やろうと思ってやったことより、自然にやった、やってたもの。
しようと思ってしたことより、いつの間にかした、してたもの。
うんうん。何もしないことをするのも大変(ノ´∀`*)



セカンドライフ上でトイカメラのように写真が撮れるアイテムを
(σ・∀・)σゲッツ!!しました☆いつもの風景がまた違って見える。
最近の作業用BGM
映像とは何か、をひと言でいうと何かなーと
考えることはよくあって、その時々で変わる代わる。
現実を切り取ったものであるという意味で「フレーム」
何らかの加工が絶対されているという意味で「エフェクト」
作者の感性越しに見るものであるという意味で「フィルター」
静止画の連続であるという意味で「パーフォレーション」
撮影者の意識、無意識であるという意味での「シャッター」
一点集中、凝視、光を当てるという意味での「フォーカス」
今、しっくり来ている言葉は「ブレ、ぼけ、流れ」
つまらないけど面白いものって存在しますよね?(´Д⊂ヽ
自分の中だと、それは海を見たときの感覚に近い。
何もなくて、光がちらちらとちらついているだけだけど、
なにか、じっと見ていられる感じ。ふと我にかえると
うへー、何で海なんて何にもないもの見てるんだろ、と
なってしまうけれど、たまに無性に見たくなってみたり。
ほむ、
海みたいな映像。
2.Riseの歌詞で”火の両端に私は立つ”ってのがあって
( ゚Д゚)・∵. グハッ!!映像の完敗だと思います。
文と章が混ざったものはすごいよチン☆⌒ 凵\(\・∀・)乾杯
休みといったら、どうしてもニコニコを沢山みてしまうわけで。
たまに美味しんぼ。このマンガの話も、料理の原点、人間の原点、
そんなところを探ろうとする話でもあり。興味津々。
↑の菓子対決では、甘みを求める菓子が崩れてきたのは
砂糖が入ってきてからということで、一方では至高の菓子として
干し柿を、もう片方では柿の水羊羹のようなものが出ていました。
砂糖を使わない自然の甘み。果物と菓子の中間である干し柿こそ
菓子の原点であるとして、うんうん、食べたくなりました( ゚д゚)
柿の水羊羹では、究極を考えると、いったん基本に帰るのが自然では
あるが、それに人間の根本的な憧れを盛り込むというコンセプトで
あえて、あえて砂糖を使ったり、細工をしたり、、、
「原点+あゑて」最強説